経済成長という病

経済成長という病 (講談社現代新書)

経済成長という病 (講談社現代新書)

リーマン・ショック以降、様々なメディアで不況の分析や「悪者探し」が行われているが、社会の動きは、何かに原因を求めたり、短絡的に語れるものではない。
あらゆる現象は時代を象徴する結果の一つではあるが、そこに至るまでの、関わる人たちや周りの人々の価値の変遷や社会的背景が関わっている。そして、そこに身を置いて読み取っている自分自身も要素の一つとして、結果に関与していることを認識しなければならない。
ある事象について、メディアから得た短絡的な結論をインプットしただけで理解した気分になる思考停止状態で止めるのではなく、自分自身で深く深く考えることが大切だ。
そういった意味で、筆者の前著「株式会社という病」は、とても示唆に富む内容だった。
以来、ブログを拝読させていただいている。
本著「経済成長という病」は、平川克美の最新刊。
最近の社会情勢も含めた筆者のエッセイであり、楽しみにしていた一冊。

病は前提に潜む

前著「株式会社という病」でも書かれているが、「病」は成長し生きていく中で常に内在する。

前提にあるのは経済成長への信憑であることは、誰も注意をはらおうとしてこなかった。
(p26)

「経済は成長し続ける」という、よく考えたら何の保障も無い前提は、様々なシステムに内在しているものだろう。いま問題視されいている年金もそうだし、自動車,電機産業も、普及が広がる前提でビジネス戦略を練っていることが多い。もちろん、期待を込めてそうしている部分もあるのだが、単に気づかない部分もあったのではないだろうか。

専門家は、中の言語であるその専門用語で作られたシステムの欠陥に気がつかない。

「病」の元は、前提に潜む可能性もある。
結果だけ見るのではなく、前提に立ち返ることも忘れてはならない。

わかったつもりという思考停止

誰でも、いつでも情報を得られる現代において、特に注意しなければならないのは、「思考停止」の問題である。そこで述べられている情報は、どうしてそのような結論になったのか。また、その情報の裏に潜むプロセスや、要素は何か。現代は、知ることで終わらせてしまうと、本質が見えなくなってしまうことが多い。経済成長という前提も、思考停止を生んでいたキーワードの一つだろう。

自分が生きている時代について理解するということは、その絵柄の中に自分自身を発見し、もう一度描きなおすことが必要なのだ。(p24)

私たちに必要なのは、歴史を解釈することではなく、歴史の加担者である自分たちについて理解を深めること。(p28)

今、考えるべきテーマ

この不況で、悪者を探すのではなく、現状をどう読み取って、どういった立ち位置で今後を生きていくのか、どのような社会を作っていくべきか。今、まさに考えるべきテーマである。
考えるきっかけとしての一冊です。