理性の限界

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

私たちが物事を合理的に認識したり、判断する基準は、知識(とそれに基づいてできた思想)や科学に基づいている。本書は、そういった合理的判断や知識の根拠、つまり「理性」について、その限界を考える一冊。
全編を通して、会社員や科学者、哲学者などの参加者が討論する仮想的なシンポジウムの形式で進められている。扱うテーマが非常に難解なものもあるが、説明は数式などを使わず、例えも豊富で、誰でもわかるように工夫されているし、討論形式で話の流れもわかりやすく、思わずのめりこんでしまう。実際、一気に読んでしまった。

本書は、次の3つの章を通して、「理性の限界」を考える。

「選択の限界」
「科学の限界」
「知識の限界」

合理的な投票の方法や、利益の最大化のための選択についての考察と、さらには合理的選択の限界についてまとめた「選択の限界」。(ここで挙げられる「コンドルセ勝者」や、「ナッシュ均衡」という言葉は聞いたことがあるかもしれない。)世の中で行われている選挙や利益・合意形成における選択の正当性については、この章の議論を参考にして、一度は考えておきたい。

「科学の限界」では、天動説と地動説の推移から議論が始まる。天動説が常識だった時代には、天が動いてる前提で世の中のあらゆる現象が理解されようとした。しかし、天動説の矛盾や限界を超えてきたことで、新しい科学が展開される。近年では、ニュートン力学の絶対時間・絶対空間を取っ払った相対性理論に見るような、パラダイムシフトを繰り返して、科学の可能性を広げてきた。さらに、ハイゼンベルク不確定性原理で示されるように、見えないものを探っていくことが求められている。

「知識の限界」では、論理的思考の限界を考える。
この章の中心になっているのは、ゲーデル不完全性定理。この章の内容は、筆者の前著である『ゲーデルの哲学』(http://d.hatena.ne.jp/mnishikawa/20090718/1247908988)のでも議論された、論理思考の限界についての考察である。

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)』p226より引用

(1)一定の公理と推論規則によって構成され、
(2)無矛盾であり、
(3)自然数論を含む程度に複雑なシステムをSと呼ぶ
ゲーデル・ロッサーの不完全性定理

Sは、真にもかかわらず決定不可能な命題Gを含む。
さらに、Sの無矛盾性は、Sにおいては証明不可能である。


数学、それも、もっとも基本的な自然数論は、自然数論自体では証明が不可能な命題が存在する。さらに、自然数論自体の矛盾性は、自然数論では証明できないのである。
我々は、公理の根底にある「真」と「偽」の論理判定についても、正しさを理解しているのだろうか。

過去・現在の賢人たちが挑んできた「理性の限界」を文庫本一冊にまとめて、しかも読みやすく、面白い。


人類が挑んできた「限界」までのすごさにも驚かされるのだが、本書を通して見えてくるのが、さらに広がる可能性である。
目の前の問題を既存の仕組みで考え、その時点での答えを求めることでやめてしまうことが多い。

p260

経済学者のアマルティア・センは、理性の限界を認識せずに既存の合理性ばかりを追い求めている人を「合理的な愚か者」(Rational Fool)と呼んでいます。

私たちは、合理的な愚か者に留まっていないだろうか。
そこで探究をやめてしまうにはまだまだ早い。