日本辺境論

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

辺境という表現で語り始めると、日本のネガティブな面を批判し、読み手に奮起を促すような類の本かと想像してしまいがちなのだが、本書をから得られるのは、辺境にある日本にしか得られなかった、生き抜く上での武器の自覚である。

アジアの端っこで、歴史的に外部の大きな侵略もされず、気づけばなんとなく国ができていた感じで、独立を勝ち取ったような、国の成り立ちに関するストーリーが無い。日本人は、「日本人とは何か?」という国民的合意を持っていない。
国民的同意を持たないからこそ、ずっと探している。本屋には、「日本人とは何か?」を考える本が、いつでも並んでいる。
明確な軸を持たないから、他に基準を求めてばっかりいる。「どこそこの国がやってるのに、日本はやっていない、遅れている。」という話の展開が非常に多い。日本人は、非常にきょろきょろしている。

しかし、そんな辺境・日本人には、きょろきょろしているからこそ身につけた武器がある。
「学ぶ姿勢」である。

師が何も教えてくれなくても、ひとたび「学び」のメカニズムが起動すれば、弟子の目には師の一挙手一投足のすべてが「叡智の徴」として映るということです。そのとき、師とともに過ごす全時間が弟子にとってはエンドレスの学びの時間になる。(p142)

メッセージのコンテンツが「ゼロ」でも、「これはメッセージだ」という、受信者側の読み込みさえあれば、学びは起動する。

弟子が師匠から学ぶのは、コンテンツではなくマナー。
「何を」学ぶかということは二次的な重要性しかない。
重要なのは、「学び方」を学ぶことだからです。
(p148)

「学べる限り、あらゆる機会に、あらゆるものから学べ」
人間のあり方と世界の成り立ちについて教えるすべての情報に対してつねにオープンマインドであれ。


今後の日本を嘆く前に、この武器を自覚し、生き方を見出していくべきではないだろうか。